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なぜ「キモい」「キモくない」だけの価値観で生きてはいけないのか → 受け止めきれる情報量やコントロールできる人間関係に限界があるから

「キモい」「キモくない」だけの価値観というのは
要するに自分が気に入るか気に入らないかで世界を二分するというもの。
自分の美意識だけで世界を評価するという傲慢な生き方を指す。

領域展開できるくらい選ばれた人間や人を思い通りに動かせるようなトップエリートならこの生き方もできるかも知れない。
その逆に、底辺ならこの生き方ができるかも知れない。関わる人が極端に少ないから。



でも、それ以外の特別ならざる我々は、キモい(自分の美意識とあわない)人間とも関わって生きていかないといけない。
「キモい」人をすべて拒否して生きていくことはできない。



「キモい」人を避け、「キモい」人をけなし、見下し、そいつらから搾取しようとした結果
自分では対処しきれなくなって破滅したのが「りりちゃん」であろうし「ウシジマくん」で描かれるような世界の人達はそういうのが多い。


なにより、年を取ったらそのキモい存在に自分がなるのだ。そうなってから生き方を変えようとしてももう間に合わない。




最初からある程度の諦めとともに受け入れるしか無いのだ。



このブログを見ている人たちの中にトップエリートはいないだろう、底辺の人もほとんどいないだろう。

であれば、自分が底辺ではないと思うのであれば「キモい」「キモくない」だけの価値観で生きないようにした方が良い。
キモい相手だろうと、最低でも条件付きで受け入れられるようになっておかないといけない。



もっというと、「自分自身が万物に対する裁判官である」という全能感から早い段階で卒業しないといけない。
自分の感性だけがすべてという生き方をしても良いのは高校生までだ。

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