こんかいの雁琳という人は
人格的には最悪だと思うけれど
身をもってキャンセルカルチャーの致命的な問題点を明らかにしてくれているよね。
キャンセルカルチャーが効果を発揮するのは
・社会的地位があって
・売上や外聞などを気にせざるを得ない
・失うものがある人
つまり「気が弱い人」だ。
要するに呉座先生は悪口は言ったが気が弱い人だった。だからこそ効果を発揮した。
しかし、
・地位が低かったり
・炎上やフェミ叩きで儲けてるような
・失うものがない人
には効果がないと思います。
若くて地位も低く、性格もちょっとアレな雁琳氏と人権感覚がまともな大学の学長がセットだと効かない。
今回のように大学側は本来お願いすることしかできないから。
そして、これ仮に辞めさせたとしても、雁琳はむしろ不当な圧力によってやめさせられたのだと
ホリエモンみたいなことを言って稼ごうとするだろう。
そして現実問題として教授職が得られないなら、そういう風にやった方が稼げるような嫌な時代なんだよ今って。
だからこそNHK党みたいなのが出てくる。
「気の弱い人」を放逐して「似ても焼いても食えないやつ」だけを残していけば、匿名化・ゲリラ化してより問題の解決が困難になる
んで、どっちの方が問題化というと、どう考えても後者なんですよね。
前者はキャンセルまでをする必要はない。
むしろ、前者をキャンセルすることによって、どんどんと後者に力を与えている。
匿名やゲリラみたいな振る舞いをするやつに影響力がない時代ならよかったけど今そうじゃないしね。
要するにこれ、見せしめにならないんですよ。
キャンセルカルチャーがアカデミズムやビジネス中心の思考だから
アカデミズムの中から追い出せば問題が解決したかのように錯覚しているんだろうけれど
加害行為は人々がそれをあまり味わわず、したがってあまり傷つけられないように一気に行われなければならず、これに対して恩恵は人々がそれをより良く味わうように少しずつ与えられるべきだからである。
何よりも君主たる者は臣民たちと生活を共にし、善悪いずれの出来事が起っても変わらぬ行動をすべきである。それというのも逆境に陥り、必要に迫られて悪事に対応しようにも時を失し、また、施す恩恵も助けにはならないからである。何故ならば、この施しは仕方なしにするものと見られ、感謝されないからである。
こんな行為をするくらいなら皆殺しにするべきだ。
中途半端にキャンセルをすると、そいつらはゲリラやテロリストになる。
それはアルカイダを見て居ればわかるはずだ。
なんというか、キャンセルカルチャーはアメリカやヨーロッパ的傲慢さが憎悪を生み出すという失敗を
アカデミーの世界で縮小再生産しているだけに過ぎないと思う。
緊急回避的にキャンセルを使うことはあっても
これをベース戦略とするのは絶対にダメだと思うんだよ私は。
安易にキャンセルカルチャーを発動させず、正論できちんと逃げ場を与えず追い詰めてつぶすような丁寧な対応が今後必要になってくる
そんなもの一人ではできない。
そのかわり、丁寧であるということは支持を得やすいということだ。
今のキャンセルカルチャー界隈は、雁琳さんと変わらないような暴言や揶揄、侮蔑にあふれていて
傲慢のキワミになっている。
自分が正義と称して容赦ない暴力をふるう暴君は、よほど有能でない限り支持を得られない。
そして、Metooもキャンセルカルチャーももはやその信頼はない。とても支持を得られるとは思えない。
どれだけ面倒で大変でも、正道に戻るべきだ。
最初は頼りなくてつらくてしんどいだろうけれど、長期的に見れば絶対にこちらのほうがいい。
問題は、じゃあ自分がその被害に会った時、そういう長期的な解決を待ってられるのかってことだ。
私はとても我慢しろとは言えない
だから、今回の件で、さえぼう先生は批判するが、一方で、雁琳との関係においてはさえぼう先生を支持する。そういう立ち回りをせざるを得ない・・・