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『介護に生産性はない』という言説から考える、仕事の価値とこれからの経済

anond.hatelabo.jp
リライトしてみた。




はじめに:『生産性』という言葉をめぐる誤解
ある政治家の「老人介護は生産性がない」という趣旨の発言が、倫理的な観点から多くの批判を呼びました。この出来事をきっかけに、私たちは「生産性」という言葉そのものや、介護という仕事の価値について、改めて深く考える機会を得たのではないでしょうか。
感情的な批判の応酬に終始するのではなく、「介護と生産性」というテーマを冷静に、そして多角的に掘り下げてみたいと思います。この問題を考えることは、私たちがどのような社会を目指すべきかを問うことにも繋がるはずです。

1.『生産性』とは何か?―言葉の定義から出発する

まず、議論の出発点として「生産性」という言葉を正しく理解する必要があります。経済学において、最も一般的に用いられる「労働生産性」は、以下の式で示されます。


労働生産性 = 付加価値額(儲けや給与の源泉) ÷ 労働投入量(従業員数や労働時間)


つまり、「一人の労働者が、一定の時間でどれだけの付加価値を生み出したか」を示す効率性の指標です。この指標で見ると、日本の介護サービスの労働生産性は、他産業や諸外国と比較して低い水準にある、というデータが存在します。これはまず、客観的な事実として認識する必要があります。

ここで陥りがちなのが、「サービス業は生産性が高い」と一括りにしてしまう考え方です。サービス業と一口に言ってもその内実は多様で、IT・情報通信業や金融業のように、少ない人員で大きな付加価値を生み出す「高生産性」の分野もあれば、介護や飲食、宿泊業のように、人の手が多く必要で、価格も上げにくいために指標上の生産性が低くなりがちな「労働集約型」の分野も存在します。

したがって、「介護サービスの生産性は、なぜ指標上、低くなってしまうのか」という問いから始めることが、より建設的な議論への第一歩となります。

2.なぜ介護は「生産性がない」と見なされがちなのか?―多角的な分析を

では、なぜ介護の生産性は低いと見なされ、その価値が軽んじられる傾向があるのでしょうか。その原因として、「モノづくりを重視し、形のないサービスを軽視する文化的な価値観」が挙げられることがあります。

しかし、この問題を個人の精神性や文化だけに還元してしまうと、本質を見誤る危険があります。より深く見ていくと、そこには複合的で構造的な要因が存在することに気づきます。

経済構造上の要因:介護サービスの価格の大部分は、国が定める「介護報酬」によって決まっています。

これは国民の負担を抑え、サービスの価格を安定させる重要な仕組みですが、一方で事業者が独自の工夫で付加価値を高めても、それを価格に転嫁しにくいという側面も持ちます。結果として利益や賃金が伸び悩み、「儲からない=生産性が低い」というイメージに繋がりやすくなります。

労働集約的な産業特性:介護は、人の手による温かいケアがサービスの核となります。製造業のように機械化・自動化によって劇的に効率を上げるには限界があり、どうしても多くの人手が必要です。これが、労働投入量あたりの付加価値額(=労働生産性)が上がりにくい大きな理由です。

歴史的・社会的な背景:かつて介護は、家庭内の女性などが担う「無償の労働(シャドウ・ワーク)」と見なされてきました。その労働が持つ専門性や精神的・肉体的負担が、社会的に正当に評価され、金銭的な価値として認識されるようになったのは、比較的最近のことです。この歴史的な経緯も、介護の仕事の価値が過小評価されがちな一因と考えられます。


このように、介護が「生産性がない」と見なされる背景には、個人の価値観だけでなく、より複雑な社会構造の問題が横たわっているのです。


3.経済指標を超えた価値へ―『持続可能な経済』の本質

ここまで、経済指標としての「生産性」について考えてきました。しかし、最も重要な論点はここからです。

すなわち、「経済指標上の生産性の低さは、その仕事の価値の低さを意味するのか?」という問いです。

ここで重要なのが、「モノ(物質)中心の経済から、ヒト(サービス・経験)中心の経済へ」という視点です。

この考え方には、これからの社会を考える上で非常に重要な示唆が含まれています。

ただし、「サービス経済はリソースの消費がない」と考えるのは、少し単純化しすぎているかもしれません。例えば、現代のサービス経済を支えるITサービスは、データセンターで膨大な電力を消費しますし、介護サービスも施設や医療機器、そして何よりケアを担う人々の心身のエネルギーという、かけがえのないリソースを必要とします。

この点を踏まえた上で、より正確に言うならば、「有限な物理的資源を大量に消費・廃棄することを前提とした経済モデルから、人の知恵やケア、経験、繋がりといった非物質的な価値をより重視する経済へ移行することの重要性が、持続可能性(サステナビリティ)の観点からますます高まっている」と表現できるでしょう。




介護という仕事は、まさにこの「非物質的な価値」の宝庫です。

要介護者のQOL(生活の質)を維持・向上させる。

家族が介護のために離職することを防ぎ、社会全体の労働力を維持する。

高齢者の社会的孤立を防ぎ、尊厳ある暮らしを支える。

地域における人と人との繋がりを再構築し、コミュニティを支える。

これらの価値は、GDP労働生産性といった従来の経済指標には、直接的にはほとんど反映されません。しかし、これらが私たちの社会の豊かさや安定、そして持続可能性にとって、不可欠なものであることは論を俟たないでしょう。


結論:言葉への感度を高め、本質的な価値を見つめる

「介護に生産性はない」という一つの言葉は、私たちに多くのことを教えてくれます。
この言葉の問題点は、第一に、経済指標としての「生産性」が低いという事実を、介護という仕事そのものへの価値判断と短絡的に結びつけてしまう危険性があることです。そして第二に、より深刻な問題として、その経済指標だけでは到底測りきれない、人間社会にとって本質的な価値を見えなくしてしまうことです。
誰かの発言をきっかけに感情的に反応するだけでなく、その背景にある社会構造の問題に目を向け、私たちが普段何気なく使っている「生産性」や「価値」といった言葉の意味を改めて問い直してみる。そして、経済指標には現れない豊かさとは何かを考える。
そうした冷静で知的な態度こそが、介護をはじめ、多くの人々がその専門性と誇りを持って働くすべての仕事が正当に評価される、より成熟し、持続可能な社会を築くための第一歩となるのではないでしょうか。




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