本当に私の文章が好きとか言ってる人はレベル1からレベル3の部分は
AIに一切頼らず自分で書いたのはわかってもらえると思うが
レベル4以降は書くのが面倒くさくなったのでいったんAIに書いてもらうことにする。
おまけの部分だけが私の記述。
自己肯定感がある程度回復し、自分の感情と向き合い始める段階LV4~LV6
4️⃣ 感情を選り好みする「良い子」の段階
レベル3の「駄々っ子」状態から脱却し、自分の感情をコントロールしようと努力し始めるのがこのレベルだ。
自己啓発書を読み始めたり、真面目に自分を変えようとしている人が陥りやすい。
この段階の特徴は、感情に「良い/悪い」のレッテルを貼り、選り好みすることだ。
喜び、感謝、達成感といったポジティブな感情は「良い感情」として受け入れるが
嫉妬、怒り、劣等感といったネガティブな感情は「未熟な自分が持つべきではない、悪い感情」として無意識に蓋をしようとする。
「嫉妬なんてみっともない」「人前で怒るなんて大人げない」という社会的な規範を内面化しすぎているのだ。
結果として、常に「良い人」であろうとし、本音を隠してしまう。
周りからは穏やかで成熟した人間に見えるかもしれないが、内側では抑圧された感情がマグマのように溜まっている。
そして、そのマグマが限界に達したとき、突然キレて人間関係を破壊したり、理由もなくすべてが嫌になって引きこもったりする。
このレベルの人間が次に進むためには、
自分が「悪い感情」と決めつけているものにも、「自分にとって意味のある情報」が隠されていると気づく必要がある。
「ああ、自分は今、友人に嫉妬しているな」という事実をまず認める。
その上で、「なぜ嫉妬するんだろう?…そうか、自分は本当は彼のように自由に挑戦したかったんだな」と、
感情の裏にある自分の本当の願いを読み解く作業が不可欠になる。
【おまけ】SNSでやたらきれいごとを言うけれどブーメランになってることが多い人はレベル4。自己統合がうまく行ってない。「承認欲求」が強すぎる限りここから先のレベルに進みにくい。
三沢さんが時々発作のようにこのレベル4に反発しているが、
三沢さんはレベルわけの概念がないから、このレベルが社会的に正しいと思われていると感じて反発してるだけね。
別のこのレベルは社会的に正しい扱いはされていない。
ちなみになんで三沢さんが定期的にこの反発をやらかすかというと
彼が日常的に自己啓発チックなYouTubeを見ているから
この手の低レベルなコンテンツをよく見ては反論して「俺は社会に反発してやったぜ」と満足しちゃうのでしょう。
このレベルの話に反論しても、金を払ってくれないような低レベルな読者しかよろこばないんだけど、それがわからないのかな。
というかまぁ、三沢さん自身が割と自己認識としてレベル4からレベル5に進めなくてぐるぐる回ってるところある
5️⃣ 感情を実況中継する「観察者」の段階(ブロガー入門)
ネガティブな感情も情報だと捉えられるようになると、次に感情そのものを客観的に観察する段階に入る。
マインドフルネスや瞑想、あるいは日記などを習慣にしている人がこのレベルにいることが多い。
このレベルの人間は、感情が湧き上がってきたときに、その感情に飲み込まれなくなる。
「あ、今、自分は上司の一言でめちゃくちゃイラッとしてるな」
「急な予定変更の連絡が来て、不安を感じているな」というように、自分の感情を心の中で実況中継できるようになるのだ。
これは大きな進歩で、感情と自分自身を同一視しなくなる。
「自分=怒り」ではなく、「自分という存在の中で、怒りという現象が起きている」と捉えられるようになる。
感情の波にサーフボードで乗れるようになったようなもので、少なくとも溺れることはなくなる。
ただし、この段階ではまだ「観察」しているだけだ。
感情の波を乗りこなすことはできても、その波をどう活用すれば良いかまではわかっていない。
この観察をさらに深めるためには、感情を「身体感覚」と結びつける練習が有効だ。
「イラッとすると、こめかみがピクピクするな」「不安になると、喉がキュッと締まる感じがする」といった身体の反応に気づく
これによって感情という漠然としたものを、より具体的な手触りのあるものとして捉えられるようになる。
【おまけ】他人事について言及しているときはそれなりに頭が良さそうなことをいっているが、自分ごとになった瞬間に知性が幼稚園児になる人はレベル5。
これはゲシュタルト療法ですね。
田房さんがなんで文章であれほど達者にそれっぽい文章をかけるのに自分を制御できなかったのかという答えはレベル4~5でとどまっていたからというのがある。
他人のことは平気で口出しするが、自分については直面するのを避けまくっていると田房永子さんみたいになる。
彼女は今ではだいぶ丸くなったけど、あの尖りまくってた時期は「有害な女らしさ」を極めた存在としてとても興味深い人だった。
6️⃣ 感情と行動の間に「選択肢」を持つ段階
感情を客観的に観察できるようになると、次はその感情に対してどう振る舞うかを「選べる」ようになる。
感情と行動を切り離せるようになるのがこのレベルだ。
レベル5までは、ムカついたら反射的に言い返したり、黙り込んだりしていた。
しかしこのレベルになると、カッとなっても、その怒りを感じながら
「ここで怒鳴るのは得策じゃないな。一度持ち帰って冷静に考えよう」とか、「相手に伝えるにしても、もっと効果的な言い方があるはずだ」と
一度立ち止まって考える余裕が生まれる。
感情と行動の間に「選択のスペース」が生まれるのだ。
これは、感情を抑圧するのとは根本的に違う。「怒りを感じてはいけない」と蓋をするのではなく、「怒りを感じてもいい。しかし、その怒りをどう表現し、どう行動に移すかは、自分が決める」という主体性が生まれる。感情は自然現象だが、行動は自分の責任で選択できる、という感覚が身につく。
このレベルの人間がさらに成長するためには、その「選択肢」のレパートリーを増やす必要がある。これまで「怒鳴る」か「我慢する」の二択だったところに、**「感情を表現する方法」**として「ユーモアで返す」「Iメッセージで伝える」「建設的な提案をする」といった、より洗練されたカードを意図的に集め、練習していくことが求められる。
【おまけ】自分にリセット癖があると思ってる人はこのレベル6でひっかかっている。
これが三沢さんには全くできない領域。「嫌な環状になったらその後の行動がオートマチック」になってる人は多い。
嫌なことを言われたらすぐ話を打ち切ったりいやいやするのは幼稚園児の仕草であるわけだが実際幼稚園児止まりの人は結構多い。
そういう人は社会に適応できるわけがなく、鬱になったり適応障害で苦しむ。
別にそこまでわかり易くなくても「受動的攻撃」と呼ばれる対応を取る人まで含めると、レベル6は多くの人にとってかなり困難な領域だと思う。
この手の人たちは感情の表出はできるけれど「その後の対応を相手に丸投げする」ので一向に自由になれない。
ムカついたとかしんどいという感情になったことを認識した後、自分がどうするかまで考えられるかどうかは人づきあいの生命線的なところがある。
これができない人はネットでのレスバはできてもリアルで人とまともに付き合うことが難しい。
自分から自分の重たように絡みに行ってる分には良いが、相手から予期せぬ反応があったらすぐに破綻する。
しょっちゅう人から切られたり裏切られたと感じることがあるのであれば、それは自分自身がレベル6の壁で詰まっているからだ。
感情を制御して、人付き合いが持続できるようになるLV7
7️⃣ 自分の感情を「言語化」し、他者と分かち合う段階
感情と行動の間に選択肢を持てるようになると、
いよいよその感情を他者に伝えるという、より高度なコミュニケーションに挑戦できるようになる。
これまでのレベルの人間は、自分の感情を言葉にするのが極端に苦手だった。
しかしこの段階では、まず誰にも見せない日記やメモに自分の気持ちを書き出すことから始め、
やがて信頼できる友人やパートナーに
「実は今、こういうことで不安なんだ」「あの時、こう言われて少し悲しかった」と、少しずつ打ち明けられるようになる。
これは非常に勇気がいる行為だが、やってみると
「自分の感情を話しても、世界は終わらないし、相手は引かない」という成功体験が得られる。
むしろ、自分の弱さや本音をさらけ出すことで、相手も心を開いてくれ、
より深いレベルでの人間関係が築けることに気づく。
自分の感情を他者と共有することの安心感を知るのだ。
このレベルの人間が意識すべきことは、「自分を主語に」話す練習を続けることだ。
「あなたは私を怒らせた(Youメッセージ)」という言い方は、相手を責めるニュアンスが強く、関係を悪化させる。
そうではなく、「私はあなたの言動に怒りを感じた(Iメッセージ)」と表現することで、
あくまで自分の状態を伝えるコミュニケーションが可能になる。これは、対等な人間関係を築く上で必須のスキルだ。
【おまけ】ここからがようやく「知り合い」ではなく「友達」を作れる段階
「一方的な人付き合いではない」「対等な関係を持続できる」
「交渉してお互いにより良い付き合い方を探ることができる」ステージである。
SNSができる前は、レベル6以下の人は足切り状態になっていた。
ここからが「まともな社会人」として扱われる段階になる。
感情に振り回されず、むしろ感情を利用できるレベル8~レベル9
8️⃣ 感情を人生の「羅針盤」として活用する段階
自分の感情を適切に言語化できるようになった人間は、もはや感情を厄介なものだとは考えない。
むしろ、人生を豊かにするための貴重な「リソース」や「羅針盤」として活用し始める。
このレベルでは、特に不快な感情を「重要なサイン」として積極的に読み解こうとする。
例えば、仕事で感じる「退屈」や「もどかしさ」を、
「今の環境では自分の才能が活かしきれていない。もっと挑戦できる場所があるはずだ」という転職のシグナルとして捉える。
恋人への「寂しさ」という感情から、「自分たちの関係には、もっと対話の時間が必要だ」という具体的なニーズを発見する。
レベル4では蓋をしようとしていたネガティブな感情が、
ここでは自分の本当に望む生き方へと導いてくれるナビゲーターの役割を果たす。
感情に「良い/悪い」というジャッジをせず
すべてを「自分を理解するための情報」としてニュートラルに扱えるようになるのだ。
この羅針盤を使いこなすためには、
自分の感情を通して、「本当に大切なこと」や「人生の目的」は何か、と深く探求していく姿勢が必要になる。
感情という声に耳を澄まし続けることで、自分の価値観の核に触れることができる。
【おまけ】偽物のポジティブ思考を越えて、本物のポジティブ思考に近づいている段階
三沢さんの以下の記事は実はレベル9の話をしている。
note.com
彼自身はレベル4~レベル5がベースなので、まだ具体化できていないものの、
ブログを書くことで先にレベル7を体験しているため、先にレベル8についてもおぼろげに見えているのだと思われる。
いずれにせよもはやネガティブな感情を抱いたからといって即座に暴れるようなことはしなくなり安定感が出てくる。
9️⃣ 矛盾した感情をそのまま受け入れる「器」の段階
人生の探求が進むと、人間や感情というものがいかに単純ではないかに気づく。
複数の、時には矛盾した感情が同時に存在することを認識し、
それらをすべて「そういうものだ」と受け入れられるのがこのレベルだ。
例えば、親友の結婚を心から祝福している自分と、同時に先を越されたような焦りや嫉妬を感じる自分。
両方が「本当の自分」だと認められる。
独立して家を出ていく子供を誇らしく思う気持ちと、とてつもない寂しさを感じる気持ち。
その両方を否定せずに抱きしめることができる。
レベルが低い人間ほど、世界を白か黒か、善か悪かで判断したがるが、
このレベルの人間は、人間の心の複雑さや機微を理解している。
アンビバレントな状態に耐え、それを人間的な豊かさとして味わうことさえできる。
「こうあるべきだ」という硬直した自己イメージから解放され、ありのままの自分を許せている状態だ。
この段階の人間は、さらに感情の「グラデーション」を意識する練習をすると良い。
「怒り」という一つの大きな感情としてではなく、
「苛立ち」「不満」「憤慨」「悔しさ」「義憤」といった、より細かな感情のニュアンスに気づくことで
自己理解と他者理解の解像度が飛躍的に向上する。
【おまけ】認知不協和に負けない女騎士の精神
もはや感情のレイヤーがレベル8以下の人と違う。
上から自分の感情を見下ろしているような感覚のため、
感情を制御したうえで物事を考えることができる。
自分にとって脅威を与えるような強者や大事な人物に関する話でない限り
感情が乱れることがほとんど無くなる。
常に自己判断と感情の間にスペースが有るため余裕を感じさせる。
ただ、この領域に至ることが幸せかどうかは人次第。
平穏ではあるかもしれないけれど、ドーパミンが不足する可能性はある。
人間の領域を超えていると思われるので空想上の君子(不惑)
私はレベル9とレベル10の領域がいまいちよくわかってない。
🔟 感情を使いこなす「マスター」の段階
ついに最終レベルである。ここまで来ると、自分の感情を完全に受け入れ、自由自在にコントロールできるようになる。
もはや感情に振り回されることはなく、むしろ、必要なときに必要な感情を呼び起こし、建設的に活用することができる。
これは、感情を消す「無」の境地とは違う。
むしろ、あらゆる感情をエネルギー源として使いこなす達人の域だ。
例えば、大勢の前でスピーチをするときに、聴衆の心を動かすために「情熱」の感情を意図的に高める。
部下を真剣に指導するために、冷静な判断のもとで「怒り」という感情表現をあえて選択する。
悲しい映画を見て涙を流すことで、心のデトックスを行う。
レベル1の人間が「感情的になったら負け」と冷笑していたのとはまさに対極で、
感情はもはや敵ではなく、人生を最高にクリエイティブにするための「最高の味方」であり、最高のツールなのだ。
感情との長きにわたる戦いと対話の末、完全な和解と統合を果たした、まさに賢者と言える境地である。