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味の素がデマにいちいち反応・反論しない理由 → 反論はしないが、反論より強力な方法でデマを打ち消そうとしているから

togetter.com

こういう他責な人を見たときは、自分の言葉だとひどいこと言ってしまうので凪先輩の口調に置き換えてもらうのだ

陰謀論に陥るやつは何を言っても陰謀論にハマるから無駄。味の素にそういうバカを救う義務も必要もない。


ふむ…。君の言葉、聞いたよ。「味の素さん公式が止めていれば…」って。

誰かのせいで、よくないことが起きてしまったように感じて、心を痛めているんだね。君のその優しさは、わかる気がするよ。

でもね、少しだけ、聞いてくれるかな。

誰かが何かをしなかったから、誰かが道を間違えてしまった、と考えるのは、少し危ういかもしれない。

それは、自分の足元にある石ころを、遠くの山のせいにするのに似ているんだ。

目の前に転がっている情報が、本物か、そうでないか。それを見極めるのは、他の誰でもない、自分自身なんだよ。

誰かが「これは価値がない石だ」と言ったとしても、
君自身の目で見て、そこに綺麗な光を見つけたら、それは君にとっての宝物になる。その逆も、同じだよね。

「誰かが止めてくれるはずだった」
「誰かが教えてくれるべきだった」。

そう思うのは、楽かもしれない。

でも、それではいつまでも、他人の言葉に揺さぶられてしまう。まるで、風の吹くままに転がる石のようにね。

君は、君自身の目で、物事を見つめる力を持っているはずだ。

情報も、鉱物と一緒だよ。見つけるのは、奇跡じゃない。
繰り返しと、観察の積み重ねなんだ。
いろんな角度から光を当てて、触って、その重さを感じてみる。そうやって、自分だけの「確かさ」を見つけていく。

企業のあり方を考えるのは、もちろん大切なことだ。
でも、その前に、まず自分の中にしっかりとしたコンパスを持つこと。それが大事なんだと思う。

誰かのせいにするのは、もうやめよう。




味の素がまともに相手をしない理由

たぶん、諦めているのとは少し違う。相手にする土壌、つまり話しかけている地層が、根本的に違うからなんだと私は思うんだ。

古い地層が教えてくれること

あの会社は、もう100年近く、そこにいる。

まるで、長い時間をかけて風雨に晒されてきた、古い地層や大きな岩石みたいだね。

昔から、いろんな声があったんだ。

「それは自然じゃない」とか、「体に良くないものだ」とか。

新しいものが生まれる時には、いつだってそういう声が上がる。それは、変化に対する人の自然な反応なのかもしれない。

インターネットができて、声の聞こえ方が変わっただけ。

昔は雑誌だったものが、今はSNSになった。でも、声の中身そのものは、あまり変わっていないんだ。

会社は、その長い歴史の中で、何度も何度も、科学という道具を使って説明しようとしてきた。

でも、人の心に一度根付いた不安は、理屈だけではなかなか溶かせないことも、痛いほど知っているんだと思う。

だから、新しく吹き始めた風の向きに、いちいち慌てたりはしないんだよ。

百戦錬磨の老兵、というよりは、ただ静かにそこにある、大地のようだね。自分たちが何をすべきか、もう知っているんだ。



どうして、正しい情報のはずなのに、届かないんだろう。

それは、人の心が、一度できた結晶の形をなかなか変えられないのに似ているんだ。

「これは体に悪いものだ」と強く信じている人に、
「科学的に安全ですよ」という光を当てても、その光はまっすぐには届かない。
かえって、その人の心という結晶の中で複雑に屈折して、
「ほら、必死にごまかそうとしている」という、まったく違う色の光に見えてしまうことさえある。


それに、話している場所が違うんだ。

会社は、岩石の成分を分析して、「この組成だから安全です」と、論理のフィールドで話している。
でも、不安を感じている人たちは、「なんとなくこの岩の形が怖い」と、感情のフィールドにいる。

これでは、話がかみ合わなくて、当然かもしれないね。


それに、会社が大きな声で反論すれば、
今までその岩に気づかなかった人たちまで「なんだなんだ?」と集まってきてしまう。
静かに通り過ぎるはずだった人たちを、わざわざ引き寄せてしまうことにもなりかねないんだ。



だから、彼らは反論しない。
それは、不毛な議論を避けて、本当にやるべきことに力を使うための、とても静かで、賢明な選択なんだよ。


本当に語りかけるべき場所

じゃあ、その「本当にやるべきこと」は、何なんだろう。

それは、硬い岩盤にではなく、まだ柔らかい、新しいものが生まれる可能性のある土壌に、静かに語りかけることなんだ。

世の中には、熱心に信じている人と、強く反対している人、そして、そのどちらでもない、静かな人たちがたくさんいる。

会社が本当に大切にしているのは、この声には出さない、大多数の静かな人たちなんだ。

彼らのやり方は、鉱物探しに少し似ている。

「ここには何もないぞ!」と叫ぶ声に惑わされず、
静かに、地層を読んで、本当に良い結晶が生まれそうな場所…ペグマタイトみたいな、いろんな鉱物が一緒にいられる優しい場所を探すんだ。

そして、その場所を見つけたら、直接「この石は綺麗でしょう!」と叫ぶわけじゃない。
その石が、いかに暮らしを照らし、いかにおいしい時間を作り、いかに人の体を支えるか…そういうポジティブな光景を、レシピや、アスリートの活躍や、食育活動を通して、そっと見せ続ける。


そうすれば、自分の目で見て、その光の価値に気づいた人が、自然と手を伸ばしてくれる。


会社は、ネガティブな声を消そうとしているんじゃない。
ポジティブな光で、世界を満たそうとしているんだ。

彼らのアプローチは、ネガティブな言説への直接的な反論ではありません。
そうではなく、ポジティブな情報、製品の価値、企業の姿勢を、地道に、そして多角的に発信し続けるというものです。

1️⃣「おいしさ」という本質的価値の訴求: 公式サイトやSNSでの無数のレシピ紹介。
 これらは、「味の素を使うと、簡単においしくなる」というシンプルかつ強力な事実を、ニュートラル層の日常に浸透させます。
2️⃣科学的知見のポジティブな活用: アスリートをサポートする「アミノバイタル」に代表されるアミノサイエンスの応用。
 これは、「味の素=アミノ酸の会社=体に不可欠なものを作っている」という、ポジティブで健康的なイメージを構築します。
3️⃣食や環境への貢献: 次世代に向けた食育活動や、サステナビリティへの取り組み。
 これらは、単なる調味料メーカーではなく、社会全体のことを考える信頼できる企業であるというブランドイメージを醸成します。

つまり、味の素は「反論」によってネガティブな情報を打ち消そうとするのではなく、「発信」によってポジティブな情報で世界を埋め尽くし、ネガティブな情報の価値を相対的に薄め、希釈しようとしているのです。これは、汚れたコップの水をスプーンで掬い出すのではなく、綺麗な水を絶えず注ぎ続けることで、最終的にコップ全体を綺麗にしてしまうようなアプローチです。静かですが、確実で、そして賢明な方法です。

汚れた水を掬い出すんじゃなくて、綺麗な水を注ぎ続けて、全体を澄み渡らせるようにね。

誰かが道を照らしてくれるのを待つんじゃない。自分で見つけた光を頼りに歩くこと。

あの会社は、そのための小さな光を、たくさんの場所に置いてくれているだけなのかもしれない。


すぐに伝わらないからといって、無意味なわけじゃない。地道な観察と、繰り返しの積み重ねだよ。…きっと、何事もね。

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