こういうところに着目するのも松井先生まじで天才やな…。
時行は、伊豆の円城寺に逃れてたということに。
長崎光綱の子長崎円喜とその子長崎高資の父子が内管領となって幕政の実権を握ったが
『太平記』によれば、1333年(元弘3年/正慶2年)5月に新田義貞に鎌倉を攻められて幕府が崩壊し、北条氏一門とともに鎌倉東勝寺で自害して滅亡した。南北朝時代に鎌倉幕府復興を目指し、中先代の乱を起こし、三度鎌倉を奪還した北条時行とともに、
代々の得宗被官である長崎氏と工藤氏の出身と思われる武将の長崎駿河四郎、工藤次郎が処刑された記録があり、長崎駿河四郎は長崎氏の一族と思われるが、系図等は定かではない。
斯波家長が抵抗し、なかなか進めなかったので、時行はこれを奇襲するためにスカウトされた
結城宗広
— ゴールデンハニワ@ (@golden_haniwa) 2024年8月5日
太平記にて、終始忠臣として描写されていたのに
死んだ時にいきなり「常に死人の首を見ないと気持ちが晴れないシリアルキラーで実際に毎日2~3人殺してたことが判明する」
なにそれ普通にホラー小説じゃないですか…… pic.twitter.com/070aX1eU5y
観応の擾乱が描かれるフラグ立った!
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