森久保祥太郎氏がアークナイツから降板した。
ウイグル人権問題を扱った朗読劇への参加が中国のネットユーザーから批判され、運営がその圧力に屈した形だ。
これを受けて、アークナイツのことをよく知らんやつが「運営は信念を曲げた」みたいなクソ浅いひはんをしていてうんざりした。
私はこういうツイートするやつをカスだとしか思わないし心底軽蔑する。
民族差別を描いた作品が民族差別を黙認するどころか迫害を助長しているという...
— ゆらいど (@yuride6) 2025年3月15日
今の中国から生まれるカルチャーが描けるものなどその程度だってことだね。 https://t.co/seWRbcMdSw
それはそれとして。
アークナイツは、安易に信念を振りかざして玉砕する姿を賛美するゲームではない。
私がこの作品から学んだのは、「信念とは軽々しく掲げるものではない」ということだ。
信念とは、理想を語って満足することじゃない。
現実の厳しさを知り、折れそうになりながらも諦めずに貫き続けることだ。
アークナイツのキャラクターたちは、何度も挫折し、時には撤退を強いられる。
だが、そこで描かれていたのは、「撤退や一時の敗北=信念を曲げる」なんて単純な話じゃない。
アークナイツの登場人物の物語は特攻隊のような滅びの美学を礼賛するストーリーだったか? 違うだろう。
彼らは生存の価値や、残された者の責任を真剣に考えていた。
今の無力さを認めつつ、希望を捨てず、自分にできる小さなことを積み重ね、
少しずつ可能性を広げていく——そんな地道な歩みを続けてきたじゃないか。
それが信念を貫くということだ。
ここで「中国共産党に歯向かわない=信念を曲げた」と解釈する人たちは、
一体アークナイツから何を学んできたんだ? 読解力はどうなってるんだ?
今回の騒動の発端は、森久保氏の行動に対する中国側の反発だ。
それを受け、運営は降板を決定。
一部のユーザーからは「表現の自由の侵害だ」「中国に屈した」と批判が噴出した。
私はこれに強い違和感を覚える。
彼らは正義の味方を気取るが、その姿は安全な場所から他人を叩く近視眼的でそれこそ信念のない無責任なものにしか見えない。
そう、信念がないのは運営では貴様らだといいたい。
普段、彼らはウイグル問題にどれだけ向き合ってるんだ?
そんなに中国許せないというならユニクロを完全にボイコットしたか?
中国製品を一切使わない生活をしてるのか? おそらく、そんな覚悟はないだろう。
彼らは都合よく正義を振りかざし、リスクも責任も負わず、ただ承認欲求を満たすために騒ぐ。
自分は安全域にいながら他人に対しては特攻隊になれと煽り立てる。
こういうやつらは「自分は正義」だと勘違いしているが実際は楽な方安全な方を選んでるだけだ。
戦時中でも自分が徴兵されていなければ、若者に特攻を強いていた側の人間だ。
その自覚がないのが本当にタチが悪い。カスはカスの顔をしろ。