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読みました。ありがとうございます。
一方的にこっちが「こういうのが読みたい」と言う話を押し付けてしまったのに対して
しっかりとそのわがままをいったん受けていただいたうえで、
シロクマさんの興味関心がある部分を説明してくださったのでとても感謝しています。
まずシロクマさんのお話を簡単に整理します
シロクマさんが言いたかったことをこちらで勝手に要約すると
私たちが当たり前と考えてきた「賢さ」や「情報理解」の基準が、活版印刷というメディアに根ざしていたものであり(活版印刷時代の地平)
SNSという新しいメディアの台頭によって、その基準自体が根本から変化しているのではないか(SNS時代の知の地平)
という話であったと理解しています。
そして、この変化に適応した情報処理のスタイルは従来の価値観から見れば「おかしい」と映るかもしれないものの
参政党支持者のようにSNSでの情報処理をメインとする新しい世代の間で非常に有効に機能し得る、ということなのかなと。
で、ここからは私の感想というか推測ですが
両者のあり様は基準が違うのだから、一つの線でつながっているものと考えるべきではない、と。
前世代の基準で考える我々が新世代の知の地平が立ち上がっている状況を「愚かだ」とか「馬鹿だ」と断じるだけでは効果がなく
そこで満足して新世代のありようを理解することを拒んでしまうと、我々のほうが時代に取り残されてしまうかもしれないし
少なくとも世代の断絶が深まるばかりだから、新世代の人たちと我々の世代の知をどうやって交わらせるかを考えないといけない。
というあたりまでがシロクマさんのスコープに入っているのかな、とそんな風に受け取りました。
この考え方自体はとてもおもしろいと思っています。 ただ「基準が違う」とか「これが新しい世代のありようだ」という形で「愚かだというべきではない」というところまでいってしまうと非情に危険だと感じています
知のありようや質そのものが変化しつつある、という視点は非情に重要であると考えます。
ただし、(シロクマさんの意図ではなくbook & appsが勝手につけたタイトルだとのことですが)
そこで「参政党に投票する人は馬鹿である」とは、偏見である。「外国人は法を守らない」と同レベルの。」というタイトルをつけてしまったのは
この面白い視点から始まる議論をあまり良くない方向に誘導しているとも感じます。
この件は最低でもマトリクスで考えるべきなのかな、と。
活発印刷時代の知の中にもレベルが上のもの、下のものがあり
SNS時代の知にもレベルが上のもの、下のものがあるはずです。
レベルが上、下という言い方が悪ければポジティブなもの、ネガティブなものという軸でもよいです。
まず新しいものと古いものの区切りをつけた。
であれば、その次に良いものと悪いものをやはり区別すべきであり
新しかろうが愚かなものはバカであるというべきではないでしょうか。
新しさという名前で従来の知からただ逃げようとしているようなものは批判すべきではないでしょうか。
それを「新しいものに対する偏見である」とか言ってしまうのは悪質だと思います。これはbook & appsのスタッフさんにぜひ伝えてほしい。
また、シロクマさんの意図は良くわかりましたが、はてなブログの記事を読んでもなお、まだ少し物足りなさを感じています。
SNS時代の知として提示されているものの中にあまりポジティブなものを感じ取ることができなかったのです。
少なくともネガティブなものが目立つな、と。
シロクマさんの観点は面白いのですが、まだ考察が始まったばかりなのかなとも思っています。
ですが、新しい世代のものが、旧世代のものを補完したりポジティブなものをもたらしてくれるとう要素が感じられないのであれば
「新しい世代の知」という枠組みは考えつつも、厳し目に検証していき、その中からポジティブなものを見つけ出すことが必要ではないかと。
ジークアクスの件がヒントになるかもしれませんが、
「ただ新しい知の地平が生まれつつあるのだから、頭ごなしに否定するのではなくまずは観察せよ」というだけにとどまらず
もう少しポジティブな面について現在シロクマさんの考察が今後読めると嬉しいなと感じます。
ただ意見を出せとクレクレくんするのも申し訳ないので自分の意見を述べさせていただくと
私はシロクマさんが提唱される新しい時代の知の特徴としては2ツあると思っています。
1つめは、とにかく扱う情報が爆発的に増えたことに対応するためなのでしょうが「正確さを犠牲にして伝達効率やインパクト」を重視していると思います。
2つ目は、情報に最初から色がついているなと感じます。 本来情報や事実は無色透明であるはずですが、好き嫌いや敵味方という色がついている。
これによって「拡散スピード」があがり、短期間で多くの人数を動員できるようになった。
正しいかどうかよりも、人を沢山動かしせるものが力を得て、支持する数の多さがそのまま「知」として扱われるようになっている印象があります。
ポジティブに捉えれば、これは良くも悪くも「変化」や「革新」をもたらすためにはとても強力なパワーになると思います。
社会が停滞していると感じている人たちが増えるほど、こういう形で世界を単純化して変化をもたらすパワーが要求されるのかもしれません。
ですが、それ故に、「正確でない」「事実と異なる」方向に進んだ時のマイナス効果も非情に大きいですよね。
どれだけ理屈をつけたところで、現実は1つしかない以上、いくらネット上でシミュラークルやシミュレーションを大量に生み出したところで
1つしかない現実を誰がコントロールするかという問題について、「SNS時代の知」は今後どうやって管理や制御されていくことになるのでしょうか。
読みにくいと思うので、生成AIに私の意見を整理してもらいました。
シロクマさんが提示された「活版印刷時代の知」と「SNS時代の知」というメディア論的な視座は、現代を理解する上で非常に興味深く、重要な論点だと考えます。しかし、その上でいくつかの懸念と、さらなる考察への期待を抱きました。
1. 「新しさ」を理由に「愚かさ」の議論を避けることの危険性
まず、「知の基準が違う」「これが新しい世代のありようだ」という理由で、「愚かだと断じるべきではない」という結論に至ってしまうことには、強い危険性を感じます。
シロクマさんの意図ではないと理解しつつも、元の記事につけられた「参政党に投票する人は馬鹿である、とは偏見である」というタイトルは、この危険な方向へ議論を誘導しかねません。
本来なされるべき健全な批判を、単なる「古い世代の偏見」として封じ込めてしまうのは、建設的ではありません。
2. 二元論を超えて:「質の軸」を加えたマトリクス思考の提案
この問題を乗り越えるために、「古い知/新しい知」という二元論で終始するのではなく
それぞれの知の中に「質の高さ/低さ(あるいはポジティブ/ネガティブ)」という評価軸を設けるべきではないでしょうか。
つまり、「活版印刷時代の知」の中にも、質の高いものと低いものがある。
「SNS時代の知」の中にも、質の高いものと低いものがある。
このように考えれば、「新しい」ということを免罪符に、従来の知性からただ逃げようとしているだけの安易な態度を、きちんと「愚かだ」と批判することができます。「新しかろうが、愚かなものは愚かだ」と指摘することは、健全な議論に不可欠です。
3. 「SNS時代の知」の功罪と、ポジティブな側面の探求
シロクマさんの論考を読んでもなお物足りなさを感じたのは、「SNS時代の知」として提示されている事例がネガティブなものに偏っており、そのポジティブな可能性があまり見えてこなかった点にあります。
私なりに「SNS時代の知」の特徴と功罪を整理すると、以下のようになります。
特徴1:効率・インパクト重視
膨大な情報量に対応するため、「正確さ」を犠牲にしてでも「伝達効率」や「インパクト」を重視する傾向。
特徴2:感情による色付け
情報はもはや無色透明ではなく、最初から「好き/嫌い」「敵/味方」といった感情の色がついて流通する。
これらの特徴は、【功】として、凄まじい「拡散スピード」と「動員力」を生み出します。
社会が停滞していると感じる人々にとっては、世界を単純化し、現状を打破する「変化」や「革新」の強力なエネルギーとなり得ます。
しかし、それは同時に【罪】として、そのエネルギーが「不正確」で「事実と異なる」方向に進んだ際の、計り知れないマイナスの影響も内包しています。
4. 結論と今後の課題:現実を制御する術はあるか
シロクマさんの考察はまだ始まったばかりであり、今後、「ジークアクス」の事例などをヒントに、「SNS時代の知」が持つポジティブな側面――例えば、旧世代の知を補完するような役割――が語られることを期待しています。
しかし、最大の課題は、ネット上でどれだけ多くのシミュラークル(模擬現実)が生成されようとも、「現実は一つしかない」という厳然たる事実です。
「SNS時代の知」が生み出す強大なパワーが、事実から乖離して暴走した時、私たちはそれをどう管理・制御していくのでしょうか。
この新しい知のありようが、現実との整合性を保つためのメカニズムをどう構築していくのか。この問いこそが、私たちがこれから真剣に向き合うべき核心的なテーマだと考えます。




