逃げ若4巻
— ひんご (@asahineru) 2024年8月4日
決算ギャンブルとかしてド派手に爆死した時、その直後は話題にしてもらえるかもしれないけれど
しばらく経ったらみんなから忘れられるのでたとえ恥でもみっともなく逃げて生き延びたほうが良いよね。 pic.twitter.com/sUJ3s3mO8u
絵柄はネタ的だけれど、こち亀の両津の話を思い出すやつ。
撤退戦
実際このあとの保科家は無事に生き延びて、「諏訪家」⇒「高遠家」(武田家臣)⇒「保科家」(徳川幕府)⇒「松平家」(徳川幕府)⇒会津松平家と続いて、明治維新後も藩知事・子爵として存続してる
足利方の守護小笠原貞宗や市河氏らの追撃を受けて、八幡河原、福井河原、四宮河原を転戦した。だが鎌倉において足利方が勢いを盛り返し、保科氏らは清滝城に篭城して抵抗したが攻略された。守護方は四宮氏を滅ぼして反転し、この後牧城へ向けて攻撃を加えている。その後の保科氏は諏訪氏らとともに南朝勢として活動している。
旧主の高遠氏が武田氏の信濃侵攻により滅亡すると、正俊以下の旧家臣団は武田氏の傘下となる。正俊は軍役120騎を務める高遠城将として数々の戦いで軍功を挙げ(高坂逃げ弾正、真田攻め弾正と保科槍弾正の武田軍三弾正と謳われた)、跡を継いだ嫡男の正直も高遠城将として、武田氏滅亡時の高遠城主仁科盛信と共に奮戦している。
本能寺の変で信濃の織田勢力が瓦解した後、後北条氏を後ろ盾に高遠城奪還に成功する。そして後北条氏と徳川氏が信濃の旧織田領を巡って対立すると、徳川方に与して高遠城主としての地位を安堵される。