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現在の予定「アルスラーン戦記」→「双亡亭壊すべし」→「幼女戦記」→「ふしぎ遊戯」→「魔法使いの嫁」

「推しの子」16巻(完) この作品がぶっ叩かれている事自体、なろう作品が当たり前になって、エロゲ好きな人が死滅したってことなんだろうなと改めて思う

描きおろしは、アイドルを引退してB小町のプロデュースする側に回ったMEMちょのお気持ち配信でした。

あなたを愛したいと願っている あなたと同じ世界で



なろう慣れしすぎたはてブ民は無意識に「無職転生」みたいなのを求めていたけれど、作者は最初からそういうものを目指してなかったという悲しいすれ違い

終わり方が下手と言ってる人たちは、ちゃんと単行本を買って読み直したほうが良いと思うのだ。

赤坂アカの終わらせ方が下手なのではなくて、
おそらくだが多くの人達は159話~163話で描かれている内容について
情報量が多すぎるせいでスッキリとした解釈ができなくてモヤモヤしてるだけではないのか。


「スッキリした終わり方をさせてくれるのが当然だ」と思っているのではないか。



個人的には、終盤のこういう展開って
昔たくさんやったゼロ年代エロゲでよく味わったものであり、懐かしいなとすら思ったのだけれど。


この物語は、最初からこの盤面を作るためにあった。



このページ見ただけで、読者が想定するようなルートは
作者は考慮していることはわかるはずだ。

そのうえで、なぜこの選択にしたのかというという意味を考えずに
「自分の望んだ結末じゃなかったから駄目」っていうのは小学生の感想じゃないか。


それについて、163話でちゃんとケアまでしている。

ここらへんに書かれていることをちゃんと踏まえたうえで「この選択は好きじゃない」というのは自由だ。好き嫌いの問題だから。


だが「下手くそだ」という評価をするなら、じゃあどうするべきだったのか語る努力はするべきだ。

実際にやってみたら、私は「カミキヒカルが説明不十分である」以外そんなにケチをつけるところはないと思ってるんだけどな。

99%批判してる人がいうような提案は作者は考慮済みだろう。

「ありもしない真実のエンディング」を基準にしてそうならなかったから文句を言うというのは無駄なことだと思う。

赤坂アカはインスタントバレットのときからずっと「自分を愛せない」「他者を愛せない」という個人的な悩みを描いてきたけれど、今回は今までで一番前進したと思っている

ひっそり打ち切りになった「恋愛代行」もそういう話を描いてる。

ただ、それをむき出しにすると売れないことがよくわかってしまったからこそ
かぐや様みたいに過剰にギャグ調として描いたり
推しの子みたいにアイドルとファンの関係にしてしまっている。

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yoshikimanga.hatenablog.com

誰か ただ一人だけでも愛してくれる人がいればよかった
好きだって言ってくれる人がいれば
それで良かったのにだけど その1人がどうやっても見つからない

自分を好きになりたかった
世界がどうなろうと 本当はどうでもいい
こんな小さな苦しみが 私にとっての全て

本作も最初から「誰か(アクアというよりは作者)」が、自分を許せるようになる話、他者を愛せるようになる話だった。ゼロ年代はむしろ当たり前だった


上でも書いたけれど、ゼロ年代ではこういう作品たくさんあった。

「書淫」「セカンドノベル」「ティアーズ・トゥ・ティアラ」「君が呼ぶ、メギドの丘で」などの作品を思い出す。

漫画で言えば「ヴァンパイア十字界」、「チキタGUGU」、「おやすみプンプン」などと同じ系統だ。

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私はこの類型が非常に好きだ。

これをベースで考えれば、アクアが留保なしに生き残るなんてのはむしろ興ざめと感じる。

その展開にしたいのであれば、多分あと5巻ぶんくらいgdgd展開をやる必要がある。



推しの子は、そのgdgd展開を捨てたから最後まで失速せずに来たのだ。
そこまでしてアクア生き残らせたいというのはただの読者のエゴであって
お前らこそ物語の整合性考えろといいたい。 

自分の望んだ終わり方かどうかだけで作品の善し悪しを判定するとか小学生か。
そういう感想を言う人が多いのは良いが
大の大人が恥ずかしげもなくそういう感想を述べるのはちょっとどうかと思う。






どうしてもアクアを生かしたいとか転生させたいのであればせめて「チキタGUGU」のラー・ラム・デラルと同じ苦難をうけるくらいはしてほしい。

まぁせっかく引用したからアレだけど、〇年代の作品って
全部ちゃんと死に戻りとか能力について、時間制限とか代償がちゃんと設定されてたね。

推しの子はそういうものがちゃんと説明されてなかったし
カミキヒカルの危険性がいまひとつわかりにくかったから「アクアが道連れにしなくてもなんとかなったんじゃないか」って考えちゃうんだろうな。
どうせならラー・ラム・デラルと同じ設定にしておけば、今文句言ってる人も全員納得しただろうか。


俺の短い10数年の人生の中で一番幸せだったことはね
剣を拾えたことだよ。
あのとき、剣を拾って、チキタやお前のために命を賭ける道を選んだ。
恐ろしかった。
まだまだ死にたくなかった。
なのに、信じられないくらい幸せだった。

「俺にこんな事ができるなんて」

チキタやお前のために
自分以外の誰かのためにこんなことができるなんて
こんな気持ちになれるなんて。

この気持ちを味わうために俺は生まれてきたんだって。
そう思った

多分こういう人物を一人出して、クッションみたいにしないと今の読者は受け止めきれないし耐えきれないんだろうな。

それにしても辛いとかショックという感情をそのまま作品の評価に結びつけるのはまじで本当にひどいというか見てて辛かった。

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