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三沢文也著「病まないメンタルの作り方」はまじで実践すると危険なので、半年後くらいに三沢さんはこの本で書いたことを何一つ実践していないか、多分なんらかの崩壊を起こすの二択になると思います



三沢文也さんは本人は「病まないメンタルを作り上げた」と言っていましたが


彼は今でも大絶賛メンタルがめちゃくちゃ弱いままだなあと思いました。


なぜかというと本当にメンタルが強い人間は、人と直接触れることを避けながらそれでもエアリプで批判をするみたいなことはしないからです。




彼は未だに、ひととまともに向き合えてないし

トラウマ(実際はただのコンプレックス)を克服も出来ていません。

ただ、そういうふうに装う、そういう風に自分を騙す術を身に着けただけです。



全部読んだ上で言いますが

www.tyoshiki.com


彼の提唱する「病まないメンタルの作り方」というのは、

当初のすばらしいコンセプトに、三沢文也という個人が自分が自分を正当化するためのバイアスを大量に放り込んだ結果

「めちゃくちゃメンタルが弱い人間が、弱い人間であるという事実から目をそらして強いと思い込むだけの方法」でしかありません。

そう、「ヨイコノミライ」の平松です。




三沢さんを苦しめる「オリジナリティ信仰」と「間違ったオリジナリティの作り方」

なぜこうなってしまうのかというと、メンタルヘルスケアの最も重要な基礎すら学ばずに「ぼくのかんがえたさいきょうのメンタル」を作ろうとしたからです。

彼は、メンタルの本を書こうとしたのに、よりによってメンタルヘルスの入門書の1冊すら読もうとしなかったんです。

アホじゃないかと思いますが、彼の「オリジナリティ」に対するこだわり方というのはだいたいいつもこうです。

彼は、こだわろうとする時、その分野をあえて学ばないんですよ。

学ぶと自分があまり物を知らないという現実を直視せざるを得なくなり、そうすると文章がかけなくなってしまうからです。

「無知の無知」から生み出されるアウトプットはオリジナリティはあるかもしれないけれどそこに安定した価値を見出すのは難しい

基礎を知らないと自然と「ズレた」やり方になりますよね。

レシピを読まずに料理を作ろうとすると変なものが作れますよね。

そのズレを「オリジナリティ」と主張するが彼流のオリジナリティの作り方なんです。

彼はオリジナリティ信仰が強すぎて、「それが他の人の役に立つのか」「それは他の方法より優れているのか」を考えないのですね。

彼はいつもそうやって「ガワ」の部分だけは目新しいことを言います。

でも中身はただの不勉強や思い込み、自分の乏しい人生経験からくるヒューリスティック(=勘やあてずっぽう)にすぎません。

かつてズイショさんが「青二才のやってることはただのガチャだぞ」と言ってましたが

そりゃ経験がない人が当てずっぽうにやったらたまに当たることもあるけど外れることのほうが多いってなるのは当然ですよね。


「ステップアップ(積み上げ)でなにか価値あるものを築く」というのは三沢文也さんのオリジナリティ信仰と最も相性が悪い

navymule9.sakura.ne.jp

それでもブログとかならまだ良かった。

ブログなら勢いでなんとかごまかしが効くからです。でも、さすがに本を書こうとするとどうにもしんどいことになる。

「にわか仕込みの知識や、思いつきや当てずっぽう」を材料に何かを積み上げるのはとても難しいからです。

ましてそれをステップごとに積み上げていくというのは・・・・・・

「三沢さん、あんたにそれができるならあなたの人生はもっとマシなものになっていたでしょう・・・?」としか言いようがないです。


自分がどういう方法で思考してきたのか、
自分のオリジナリティはどうやって生まれてきているのか


そのことをもっと真剣に考えるべきだったと思います。



三沢さんと同じことを株の世界でやっていた「中田B」は、自分のオリジナリティを信じるあまりに全財産を失って消えました


三沢さんが今拠り所にしているその考えは、三沢さん自身を殺します。

三沢さんが未だに滅びてないのは、たんに三沢さんが「超低レバレッジ・低ボラティリティ」の人生を送っているから。ただソレだけです。

ほとんど何も行動せず、何の変化もない生き方をしていたらどうなるのか。

これは想像ですら無くもう「既知である」と言っても良い。







彼が今陥っている危機的状況について =「本当はメンタル弱いのに、強いメンタルのフリをしないといけない」という背伸びした状態をつづけ「自分は我慢してるのに」と他者に不寛容になったり、「強さを維持できない自分」への自己否定・自己破壊が起きる

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