この記事は、自分が言いたいことがただしく伝わるかどうかわからないので、最初からはてブ欄はクローズにしておきます。
これな……単体で見たら人間の屑としか思えないんだけれど、学校の校長や教頭の立場からしたら、もう自分が間違ってるのわかっててこう言わざるを得ないんだろうなと感じます。
この件に限らず、いじめ問題に関する報道と、その後の展開はいつも不毛の一言に尽きるなと思う。
今のやり方で肥え太るのは週刊文春とネットできれいごとを言ってすっきりしたいだけの何も考えてないネット民だけであり、他の人はだれも幸せになりません。
就活のシステムでみんなが苦しんでるのに、的外れなところばかりが批判されて、その間もリクナビはのうのうと肥え太ってたのと同じような流れを感じる。
すでにいじめが起きた校長や教頭に良心を求めても、ただの操り人形だから無駄
みなさん自分にあてはめて考えてみればわかると思いますが
人間がやる気を出すための条件としては「着手が簡単で」「自分の実力よりちょっと上だけど頑張れば達成可能なレベル」「心理的安全性(特に必要に応じてサポートが得られること)」がかなり重要です。
これに対して「もともと不可能な難易度を、何のサポートもなしに押し付けられた場合」というのはモチベーションが最悪になります。
多分だけれど、校長や教頭は事件が起きる前からすでにいじめ対策への気力が乏しかったのだろうし、まして事件が起きた後何を言っても叩かれるという立場でもう心が折れてしまったのだと思います。
こうなると「言われたことだけを自分の思考を介さずに遵守する」というロボットになります。良心もくそも冬眠してて起きて来ませんから、道徳的な面をいくら言っても無駄です。
学校に対する「暗黙のゼロトレランス」の風潮がある限り、本心でなくてもいじめの存在そのものを全面否定せざるを得ない
「絶対にいじめを起こすな」というのはもともと無理です。
「うちの学校にいじめはありません」と言ってる学校があればその学校はやべえです。高い確率で隠蔽をしてます。
ところが、今の日本国民、教育現場にあまりにも無知すぎて、いじめに関して「学校へのゼロトレランス」が当たり前になってます。
これの最大の弊害は「罰されていなければ正しい」という逆証明になってしまうことであり、
そのせいで責められた側は「何が何でも誤りを認めない」というかたくなな態度を取らざるを得なくなることです。
まさに今の旭川小学校はそういう話になってます。
今までいじめ報道をあまりに見てなかった人は、今回の文春の記事を見て「なんてひどい奴だ」って思ったんでしょうけれど
今までいじめで責められた学校はの校長や教頭だいたいの場合同じような問答をしています。
事件が起きた「後」の学校の対応をワイドショー的に消費してるだけでほんとにいいのかなと思う
・どうあがいても不可能なハードルを設定されることによる自律性の喪失
・学校へのゼロトレランスにより、無謀とわかってても「修辞法として」いじめの存在を否定しなければならない状況
を作っておいて、学校の校長や教師の発言を事実上誘導しておいて、それをこれ見よがしに叩く
という行為にどれほどの意味があるのか私には全く分かりません。
いい加減「学校に対するゼロトレランス」思考をやめて「いじめは当然発生しうるし学校の教員ではそれを完全に防げない」を前提に議論されてほしい
少なくともいい加減「いじめは犯罪なんだから警察に介入させろ」って定型句語ってるだけで満足してるような、
「実際はいじめ問題に対してみじんも興味持ってないくせに正義ぶりたいだけ」みたいな人は
「お前たちは旭川小学校の先生の鬼畜なコメントを引き出す側の人間だ」とまでは言わないけれど
「それだけ強い言葉を使うんだったら頼むからもうちょい教育現場の悲惨さに興味関心持ってくれ……」って思う。
それはそれとして、教育現場のいじめ対策は本当にひどい
今複数の友達から、小学校・中学校におけるいじめ対策推進法に関して
学校側がどのように対応してるか情報もらってるところだけれど
まぁひどいな……。
上の記事読んだら学校の人を擁護してるって思われそうなのはわかってるけど
私が言いたいのはそういうことじゃないんだよ……。
もう現場に「状況を改善しよう」という意思や気力を持ってる人がいないんだよ……。
そのくらい公立の学校ってボロボロになっちゃってるってのを認識してほしい。