なろうマンガ・B級マンガなどの感想

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没記事。あとで書きなおしたい。

からかいというか「許可されていないいじり(ハラスメント)」問題

gendai.ismedia.jp

フェミニストはなぜからかわれるのか」ではなくて「はてブ民はなぜ無責任な発言について何の問題も感じないのか」ってタイトルだったら完ぺきまである。

実際、この記事についてはてブコメントを見ると、コメントを付けた人の7割くらいが文章をちゃんと読んでないのがはっきりとわかる。



①なぜ一部のはてブユーザーは自分たちの発言について批判されると逆切れするのか

「遊び」の文脈においては、言葉に対する日常生活における責任は問われないものの、他方において「遊び」のルールを破ることに対しては、強い制裁が参加者に課されることになる。つまり、「からかわれた」者が「怒る」ことは、「遊びのルール」違反として制裁されるのだ。

これはまさしくはてブあるあるである。

はてブユーザーの中には人格が腐ってるゴミみたいな人が結構いる。例えば、記事を書いた人に無責任なコメントをしておいて、たまに記事を書いた人間がキレたり反論すると「俺たちはダンゴムシなのでいちいち石をひっくり返してリプしないでください」などと開き直ってむしろこちらを笑おうとしてくる。

本人はそういう「遊び」をやってるつもりなのだろうが別に書き手はそれに同意していないのに勝手に同意した前提で自分の「遊び」を押し付けてくる。

どう言いつくろおうが、こういう人間は「ハラスメントクソ野郎」であり、軽蔑の対象である。私はそういう人に対してはっきりと記事上で「こっちくんな」と意思表示をすることがあるが、だいたいの場合はゴニョゴニョ言いながらしばらくするといなくなる。反撃してこない人間、反撃されにくい仕組みを選んで自分の卑しい劣情をぶつけてきてるだけの通り魔みたいなものだ。最低である。

明確に迷惑だと宣言しているにも関わらず、ホッテントリした時だけよって来る人間は5名くらいしかいないが本当に迷惑だ。そういうのがやりたければ、VTuber相手にスパチャで金を払ってやるべきだと思う。明確に嫌がっている相手にネガティブコメントを書いておとがめなしという権利はさすがに有料とすべきだ。このようにはてブを無料のキャバクラとして使おうとするフリーライダーに対して、はてな運営が全く対応しないという困ったちゃん状態がここ数年ずっと続いている。



②なぜはてブユーザーは意図的に雑で乱暴な言葉遣いを好むのか

このルールがあることが、発話者が「からかい」という形式を発言内容に対する責任回避のために利用することを、可能にする。相手が不愉快になるようなことを言っても、親密なもの同士の「からかいあい」という形式をとれば、言われたほうも怒れないだろうと予想できるからだ。

「からかわれた」者は、ここで怒ってしまえば、「親しいもの同士」という関係が壊れてしまうから、我慢せざるをえない。「からかう」者は、このことを利用して、相手が不愉快になるようなことを、わざと言うことが起こりうる。

こちらについて、以前に「トーンポリシング」という言葉が濫用されたことによって「わざと不愉快な物言いや乱暴な口調でしゃべることによって、己の雑な主張への反論を封じようとする人たち」がいるという話をしたが、これはトーンポリシング厨に限らず、いろんな話題で暴言を吐いて批判をそこにそらそうとする人がはてブユーザーの中には多くみられる。



はてブユーザーはよく文章を読まずに、他のはてブコメントを見た上で「真似をして」コメントを書く。

「からかい」が持つ「遊び」の分脈を維持するうえで有効なのが、第三者を共犯者として確保することである。「からかい」の行為が、相手の人格を貶めたり、相手の主張を「くだらない」ことと決めつける「いじめ」や「誹謗中傷」になってしまうのは、多くの場合、両者の相互行為を見ている第三者(以下「観客」と記述しよう)がいる場合である。

「からかう」者は、周囲の観客を「からかい」のゲームに積極的に巻き込み、彼らを「からかう」者の共犯者にしようとする。観客を共犯者にすることができれば、「からかう」者は、「からかわれる」者よりも、優位に立てる

周りを観客として共犯者にしようとしているのはまだましだが、一部のはてブユーザーはそれ以下である。

積極的に観客の地位におさまろうとする。観客の立場に収まっていれば何を言っても構わないと思い込んでいる節がある。

だから、人気コメントを参照して、それが普段の自分の主張と似たような形であれば、今回のように文章を読まずにそれに同調したり、ほぼコピペそのまんまのコメントを書く。

そこに一切の思考は働いていない。



はてブユーザーははしょっちゅう集団リンチやいじり(ハラスメント)を行っているが、自分たちはそれを自覚することがない

周囲の観客も「からかい」という「遊び」のゲームの共犯者になると分かっていれば、「からかわれる」者がどう反応するかにかかわりなく、その場を「遊び」の場面として維持できると推測できるからだ。周囲の観客も、「からかわれる」者が「うろたえる」のを「楽し」むことが明らかであれば、「からかわれる」者が怒れば怒るほど、「からかう」者の「からかい」が功を奏したことになるのだ。

「からかわれる」者は、自分がどのように怒ろうと、周囲の人々に届かない状況に直面する。

それでいて、いじめ問題の時には自分たちの普段の言動を省みることなくいじめは犯罪扱いにしろとか言えるのでサイコパスだと思う。




⑤5ページ目以降はよくわかんない

若い女性は、街を歩いているだけで、全く見知らぬ男性から、容姿や服装について無遠慮に言及されたり、野卑な冗談をなげかけられたりする。キャットコーリング、日本語では「セクハラ野次」と訳される「からかい」である。通常「親密な関係」である者同士でのみ許容されうるような言動が、全く見知らぬ男から投げかけられるのだ。

私はこういうことをやろうとしたことがないし、やっている人たちに嫌悪感を覚えているし、自分がやられたこともあるが普通に嫌だ。
もしこの点に対する怒りだけを表明しているのであれば、私は違和感を持つことはないと思う。私自身がそういうものにつよい嫌悪感を持っているからだ。



そういう私から見ても、ネットにおけるフェミっぽい人たちの発言はヒステリーであると思っている。

女性の権利の主張は、男性と「性的関係」を持つことの拒否と読み替えられ「男嫌い」とされる。性差別問題に対する怒りは男性に対する感情的怒りと読み替えられ「ヒステリック」と解釈される。

おそらく20年前、30年前にはそうだった可能性は高いと思う。たまに古いマンガを読むとそういうからかいの図式が平然とマンガに描かれておりちょっとイラっとする。ただ、今はそういう表現は減ってきているし、出てきたらちゃんと批判されている。表現規制云々はともかくとして批判や嫌悪の意志を表明されるのは当然であろうと思う。



なので、この問題について「フェミニズムが一方的にからかわれている」という受け止め方になっているのであれば、それはかなり江原先生の認識が古いのではないかと思う。

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