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FGOで長尾景虎(上杉謙信)が姉の綾姫から説かれた「五常の徳」とは

戦国武将についてせつ
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五常の徳は、孔子孟子が説いた、仁、義、礼、智の四端(生まれながらに人に具わっている四つのもの)に、信を加えてまとめられたものである。

仁:仁は人間が守るべき理想の姿である。自分の生きている役割を理解し、自分を愛すること、そして身近な人間を愛し、ひいては広く人を愛することである。単純に情け深いのではなく(単なる同情ではなく)、自分には厳しく周囲には寛容に、かつ正義に基づいた慈愛を持って接することが大切である。
織田信長にはこの点が欠けており、敵ばかりでなく見方にも非情であった故に、天下統一ができなかったと言われている(笑)

上司・君主側の礼とされるのがこの仁である。 しかし現代において、この仁が問われることはまずない。この仁を抜きにして目下の者から目上に対する礼ばかり要求する社会はボロボロになる。

義:義とは、人の歩んでいく正しい道のこと。義をおろそかにすることは、道を踏み外すことになる。仁を実践する基本として、義を貫くことが必要である。本当に人を愛し思いやる生き方は、勇気を持って正義を貫いてこそ成り立つ。

上杉謙信が「川中島の合戦」のとき、今川・北条側に塩の供給を絶たれた武田信玄に、塩を自国から供給し、義を貫いた話が有名である。

FGOの仮想世界における長尾景虎については「擬態」ということになるんだろうか。
今のネットではよく正義が問われるが、ネットで騒ぐ人間には「正っぽいこと」はあってもこちらの「義」はない。人への思いやりがある人間は今のネットで正義ごっこをやってるような人たちのような言葉遣いはしない。

礼:人の世に秩序を与える礼儀礼節は、仁を実践する上で大切なことである。親や目上の人に礼儀を尽くすこと、自分を謙遜し、相手に敬意を持って接することが礼、場合に応じて自分を律し、節度を持って行動することが節といえる。
優秀な軍師諸葛孔明を迎える際の「三顧の礼」は三国志の有名な故事である。

この礼がいつも気に入らなくて、なんで<親や目上の人>限定なんだろう。ここで孔子がちゃんと上は上で下に対して礼儀を尽くすよう説いていればよかったのに。
というか、孔子自身はちゃんとそれを説いていたのに、後の人間が下から上への礼儀の部分だけ残したようにしか思えないんだけど。

智:智とは、人や物事の善悪を正しく判断する知恵である。さまざまな経験を積むうちに培った知識はやがて変容を遂げ、智となって正しい判断を支える。より智を高めるには、偏りのない考え方や、物事との接し方に基づいた知識を蓄えることが必要である。

儒教では「中庸」といって、よいバランスを保って生きることが大切とされている。

ここも結構重要で知識→知恵(正しい判断をできること)につなげることができるかどうかが問われる。
その際に重要な考え方として「バランス」というのがある。


信:信とは、心と言葉、行いが一致し、嘘がないことで得られる信頼である。嘘のために一度損なわれた信頼を、取り戻すことは難しいことである。たとえ、仁なる生き方を実践していても、人に信頼されないことには社会で生きてはいけない。信頼は、全ての徳を支えるほどに大切である。

結局のところ、上の4つはこべてこの信のためにある。信を支えるための柱としてほかの4つがあるといってよい。



五常の教えはむしろ、信用社会においてこそ重要となる

二宮尊徳は、「五常講」という五常の徳を実践する者であれば、その心を担保に金を貸す金融の仕組みを作った。この制度は、後の信用組合の原型となった。

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