この件は読解力や想像力の問題ではない。誤解やすれ違いによる炎上と理解を進めるのは誤りで、「社会的調停のゴールも設定されてない悪意による嫌がらせ」なのである。そして、権威主義的な研究者が口を揃えて「なんとなく良くないと思う」と言ったことを私はよく覚えている。https://t.co/abT0QIX2Zf
— 未識魚 /中川譲@コミティア5/12 W40a (@mishiki) May 19, 2019
もう少しメディア論的に説明すると、この問題を「否定する言説自体を拡めること」であったと捉えるのは、「肯定か否定か」という「議題設定機能」の発揮こそがこの炎上の到達点だからである。そもそも否定される謂れがないわけなのだが、「良いか悪いか」という言い方をすると、一見両論併記に見える。
— 未識魚 /中川譲@コミティア5/12 W40a (@mishiki) May 19, 2019
表現の自由周りの人は時々誤解しているが、今のメディア論は
— 未識魚 /中川譲@コミティア5/12 W40a (@mishiki) May 19, 2019
「メディアが言った通りに人が信じ込む(例:肉を食べると暴力的になると伝えると皆信じる)」
という類の強力効果論を肯定しないが、
「議題設定機能が強力であること(例:肉を食べることの善悪を話題にする)」
は肯定されてる。
そして、Twitterで議論になるのは概ね、「レイプの善悪なんかを考えさせてしまうこと自体がおかしい。レイプは悪いに決まってるじゃないか」という意見である。他に色々なものが議論になり得て、例えば「殺人」「暴力」「戦争」「差別」「小児性愛」等々である。
— 未識魚 /中川譲@コミティア5/12 W40a (@mishiki) May 19, 2019
というわけで、メディア論を真剣に考え、そしてなおかつ表現の自由も考える人達は、そういう発想への反論を、丁寧に考えておかないといけないと思うのです。いつまでも、「強力効果論は間違っているプギャー」ではダメなのです。その話は30年くらい前に終わっているのです。
— 未識魚 /中川譲@コミティア5/12 W40a (@mishiki) May 19, 2019
俺なりの回答としては、メディアの悪影響論から議題自体を引きずり降ろすことだと思います。メディアの機能についてはもう結論が出ているので(「メディアで言ったからといってその表現通りになることはないが、影響自体は強力になり得る」)、メディア悪影響論の土俵で争うのは不毛で危険です。
— 未識魚 /中川譲@コミティア5/12 W40a (@mishiki) May 19, 2019