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「きれいな言葉」に対する抵抗のなさや、安易な賞賛こそが「意識高い系」のはびこる温床である

意識高い系記事への補足。


何度も書いているが、私は上野千鶴子の祝辞をそれほど高く評価してない。
正確に言うとあの言葉を安易に、そして無制限に賞賛する人が嫌いだ。


あれは「条件付きで」賞賛できるがかなり危ないものだ。
彼女の論理は一見美しいのだが、地獄への道は善意で舗装されているという言葉の通りであり
慎重に考えないと池田信夫が昔やらかした「医学部卒業して主婦になるのはNG」という話につながっている。

ikedanobuo.livedoor.biz
togetter.com

実際、医師の過労問題については世間の認識は極めて冷淡であり、男性医師の過労は黙殺して、セクハラ問題を起こした時だけ騒ぎ立てる傾向が強いと思う。「女性」医師の問題についてのみやたらと同情的であるが、男性医師の問題は省みられない。根本的な医師の労働問題改善については全くやる気が見られないまま激務が維持された状態で東京医科大の受験の問題だけを単体で取り上げることに私は何の意義も感じていないし、上野千鶴子がそんなことを百も承知でアジテーションのためにあの事例を取り上げたことを考えると底意地が悪いとさえ思う。そして世間の反応は、「上野千鶴子の意見に反対する人間は特権階級のおごり」というわけだ。


そのことについては、極東ブログfinalventさんがちゃんと指摘してた。

「世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます」というのは事実だが、その人たちへの支援は、東大生なら、公費・税への謝意として、そして公を介して行われるべきものだろう。もっと単純なイメージでいうなら、東大生なら公的な関わりによりコミットし、そのことで公平な社会を実現する努力をし、その結果、「報われない」人を支援することもある、といういわば蓋然性に留まるだろう。負い目の倫理というのは、公の正義と私的な関係のなかで生じる。当然、それが上野さんのような負い目の倫理となってもよいだろうし、それを公的に述べてもいいだろうが、それを私たち市民はそのままの形で受け取らなくてもよい。私はむしろそのままの形で受け取らないほうがいい

負い目の倫理は公的に語られる限界があり、そこを超えるには、友愛の倫理を先に語るべきなのだろう。上野さんのご祝辞でいうなら、東大生に対して、東大とはそうした友愛の倫理が感得できる場なんです、と、負い目の倫理なく語るほうがよかった

あの祝辞を賞賛していた人たちは、この「負い目の倫理」の不健全さをわかっていない。つまりそれだけ「責任を背負う側なのだ」という認識を持ったことがないのだと思う。 それでいて「東大生がそれを背負うのは当然だ」という認識だったと思う。そして、無自覚なまま「東京医科大の差別」の原因となり、「医学部を出た女性が家庭に入ることを阻止する」圧力をかけることになる。

こういう「きれいな言葉」に対する抵抗のなさや、安易な賞賛こそが「意識高い系」のはびこる温床だと私は考えている。

終風翁の「負い目の倫理」への指摘はまっとうなものだったと思うのだが(文章全体を肯定しているわけではない)、あの時頭に血が上っていたはてな民は、その部分から目をそらしたかったのか、絶対正義に盲目になっていたのかは知らないが、翁に対する人格攻撃をする人が多かった。

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