この記事、ちょっと根拠部分がガバガバなので、著者の物語に現実の事件を当てはめてる感じでちょっと危険かなと思うのだけれど。
一部大事なことが書かれてると思うので一応記録しておきますね。
「男は強く、女は優しく」を信奉する社会が男性、男子に表現を許している感情がひとつだけあります。怒りです。悲しさ、寂しさ、怖さを口にすることは女々しいが、怒りを表現することは雄々しいのです。
仮面の裏の「やわな感情」を刺激された男たちは、それを怒りとして表出します。自分の自信のなさ、寂しさ、不安、怖さ、見捨てられ不安などを彼らはすべて怒りとして感じます。本当は自分がもたらした自分自身への怒りなのですが、自分の錯綜する感情を認めることも、見つめることもしてこなかった彼は、身近にいる者が自分の怒りを誘発したとしか思えないわけです。
願いが届くためには、まず、「あなたの心の奥底で、怖くて、寂しくて、声を出さずに泣いている小さな少年を何十年間も無視し続けてきたことに謝りなさい」という働きかけが必要です。自分への怒りを他者攻撃行動で発散する「怒りの仮面」の裏側をのぞき込み、そこで今も父からの体罰におびえている少年に共感し涙を流して寄り添えたとき、彼の中に他者への共感が生まれます。その作業には勇気がいる。傷口のまわりに巻きつけた包帯とガーゼを剝ぐ勇気がいる。痛みを痛いと感じる勇気がいる。しかし、私たちの社会は、男子、男性のそのような努力を勇気ある行動とは見なしません。身体の痛みならともかく、心の痛みを訴えるなぞ、「女々しい」行為で、「強い男」のすることではないのです。むしろ心の痛みなど無視して、感じないことが勇気だと信じられています。
宅間は子ども時代から父親からの折檻の痛みや恐怖に対処するために、自分の感情を鈍磨させて生きました。「むしゃくしゃ」という表現以外に自分の感情に名前をつける言葉を持たないのはそのためです。
男たちが悲しみを、寂しさを、恐れを感じる心を否定しなければならない社会は、危険です。
せやね。
でも今ってものすごく残念なことに、男が弱さを表に出せるようにしようじゃなくて
女も負けずに強くなろう。怒りをもっと強く表明できるようになろうって方向に言ってるね。
安全ピンの問題だって、あれ「自分は傷ついている」って認められない女性が、むしゃくしゃを男性にぶつけようとするからあんな理不尽な愚かしい行為をいつまでたってもやってるわけでしょ。
みんながサバイバーのスタンドに支配されているような世の中だよね。
今のような世の中だからこそ、この弱さを表明することに成功した作品を読んでほしいよね。
・彼氏彼女の事情の有馬くん
- 作者: 津田雅美
- 出版社/メーカー: 白泉社
- 発売日: 2011/11/15
- メディア: 文庫
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と
・7SEEDSの安吾くん
- 作者: 田村由美
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この部分を担ったのは、少女漫画かエロゲだと思う。
エロゲはむしろこの「弱い僕」がもたらしたいろんな問題が描かれて、それを解決するためには自分の傷と向き合わなきゃってストーリーが多すぎるほど多かった。
エヴァンゲリオンが描こうとして、でもなんかあまりうまくいかなかった部分は、それに影響を受けた後続のエロゲ作品が補ったような感じ。
なので、エロゲをやった人は割とこの部分をすんなり受け入れられるだろうし、少年ジャンプとかだけ読んでるとなかなかそうはいかないんじゃあないかな。
とすごい雑に考えました。
そんなことないよジャンプ作品でもそういうの描いてるよっていうのがあったらむしろ教えてほしい。