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自覚って言葉の使い方がなー

私もよく相手を批判する時「問題を無自覚であること」を挙げてしまってた時期あるし
いまでもやはりその「無自覚さ」こそに腹が立つのですが、
よく考えるとこの言葉、使い方難しい。

「自覚しろ」って、「自覚すること」だけでなく「行動を改めろ」まで含んじゃってるよね。

問題を自覚してないから相手は自分の思い通りにならないだけで、
自覚したら私の思ったとおりに行動してくれるはずって考えちゃてる。




「ワンピースの問題は作者が無自覚なことだ!」

少年漫画に見られる女体化すれば馬鹿になる表現と女性キャラの性的消費 (3ページ目) - Togetterまとめ

例えば、『glee』っていうドラマがあって、これは学園ミュージカルコメディで、登場人物にはジョックもギークもいれば、ゲイも隠れゲイもいるし、黒人、白人、ユダヤ人、アジア系と非常に多様性がある。もちろんそれは、既にアメリカのエンタメ業界にPC概念が浸透していることの表れでもあるけど、じゃあそれが、「自主規制でガチガチになってつまらない」かというと、当然そんなことは無い。ドラマとしてもコメディとしても、ミュージカルとしても高い水準にあって、大ヒットをした。

当然、「差別的なネタ」も随所にある。しかもそれは、きちんと今の社会を反映したかたちで、「差別とは何なのか」をきちんと織り込んだ形で描かれている。別に声高に差別反対を唱える説教ドラマなんかじゃない。コメディであり学園ドラマであり、「笑って楽しめる」ドラマとして、だ。

で。そういうアメリカのエンタメ業界のそれと、日本の少年漫画の一部などに現れるものとの違いは何か? それはものすごく端的にいえば、「自分や、自分たちの社会にある差別性に対して、『自覚的かどうか』」 そこに尽きる話だと思う。

例えば、同じジャンプでも、『暗殺教室』なんかは、けっこう自覚的に日本社会の差別性をストーリーや描写に反映させている。で、それによって、「つまらなくなっているか?」といえば、勿論そんなことは無い。「少年漫画だから」「ちょっとしたギャグだから」というのは、別に言い訳にも理由にもならない。要は単純に、「自覚的かどうか」に尽きるのですよ。
「クールジャパン」というお題目で、「海外に発信できる日本文化」とするならば、という話ですよ。「日本の漫画は日本人(の、社会的差別構造になど一切関心の無い層)向けにガラパゴス的に閉じていけば良いのだ」というなら、確かにそんな土俵に乗る必要はありません。

「自覚の有無が問題なのであれば、自覚した上でこう描くって決めてるみたいですよ」

たぶんだけど、ワンピースはその辺の男女の性差に最も自覚的な漫画家だと思う。あの辺のオカマの描写とか、女性キャラの描写とか、あるいは男が女性キャラのスケベ行為にめちゃくちゃ弱いとか。 たぶん、この手の女性が馬鹿に見える的な葉書って本人の元にも容赦なく来てるんだよね。SBSのコーナーとか見ても本人もそれを知ってると思う。でも返答内容が「これは男の子の漫画です。女の子ももちろん読んでも構いませんよ。でも少年の心を持ってる女の子じゃないと面白く無いかも」みたいなこと書いてあるわけです。

「私のいう自覚とは・・・!」

例えば、「アート特権」を翳して、「タイでSWを無理やり盗撮して写真展開きました事件」とかの文脈に近い話。あちらは完全に犯罪行為までしているわけで、その点は勿論全然違うわけだけど、「無自覚」という点ではまるっとするっと同じなわけです。

自覚があっても、その自覚の上で自分の気に入らない行動を取ってたらアウトなわけじゃん。
結局、その人が思ったとおりに行動しない限りは許さないってことであって、
「自覚」すればいいってはなしではない。


結局自分の思い通りでないのが気に入らないってことじゃねーか!

マクロ的表現で誤魔化さないで、単に「私は女性性が消費されてる作品が気に食わない」とハッキリ云えばいいのに。

ってなっちゃうんだよな。




まぁ、もともと上の記事については、批判者が木を見て森を見ずな感じで叩かれてますよね。

上で書いたの補足として、「フェミニストガー」という批判は全く間違いと思うんですよね。作品は「今ある社会状態」を反映・被影響するもの(作者は人間なのだから当然)。少なくとも日本は男性優位な面が多いのは確かです、これは事実。ただ問題は、そのことと創作物の描写を「例題」として利用・引用することに際しては十分な作品全体通しての検証と配慮が必要ということ。つぶやきの源流の人は、その点を欠いて作品中から「女性蔑視」と取れそうな所だけ抽出してしまっているから、無為で感情的な反発を受けてしまっているのだと思う。

さすがに、ワンピース持ち上げて進撃は問題ないって言ってるなら、単に漫画見る目がないって思いますわ。
ネウロ」は実際にかなりPCに配慮されてる作品だとは思いますが、進撃はないわ。



ワンピースを評価する際は

ワンピ好きですが「日本の商業マンガ界のPC意識が総じてなっちょらん」という総体的な感想については同意だし、また尾田先生個人の男子ロッカー室ヘテロセクシズム的な感性についてはファンとしても否定し難い。それがいちばん悪い方に出てしまっているのは「ノンケを襲うオカマ」ステレオタイプだと思う。

「性的マイノリティ=セックス狂い」系ジョーク?はまんま深刻なホモフォビアと直結しているゆえこれはさすがに「冗談では済まされない」と思う。発行部数=影響力の大きさを考えるとこういう部分への批判が「読んでない人たち」から来てしまうことさえ、致し方ないと思う。大筋では同意した上で個別のポイントについて。ルフィはアルビダをブサイク(実際のセリフはいかついおばさん?)と呼ぶが、美しくなったアルビダにも実は無反応。ルフィ(というか基本的には麦わらの一味全員)はブサイクだからという理由で誰かの人格まで貶すことも、美しいから持ち上げることもしない。

①「こいつすげーブサイクだギャハハ/オカマきもいギャハハ」という偏見をそのまま戯画化したようなデザインをぶつける一方、②主人公サイドはその差別の価値観に乗らない。また、③尾田氏は「そういう奇形キャラ/きもキャラにものすごく格好の良いセリフや見せ場を与える」という、ギャップ効果を狙った演出を常套手段的に使う。

ローラ船長はこの典型で、①「酷すぎる造形+結婚したがるブサイク」という最悪にステレオタイプなキャラづけであると同時に、②&③「義理堅く勇敢で、部下たちの信望も厚い船長」でもある。①読者は彼女を笑う(=笑ってくれ、と言わんばかりの造形)が、②作中人物たちの反応は違う。

強調するが、現代のPC感覚的に①の時点でアウトだと思う人がいるのは当たり前で、ぼく自身、②&③の点(具体的には脱獄編のボンクレーやイワンコフ)にぎりぎり救われている部分はある。それが時代遅れな、それこそ「弱いものをいじめてはいけない」レベルの稚拙な倫理観に基づいていたとしても。

尾田氏に批判されるべきとこは多々あれど、一応そこに言及しない人格非難はフェアではないと思ったので一言。ぼく個人の趣向としても「かっこ悪いキャラが誰よりもかっこよく輝く瞬間」というのが大好物で、一番好きなキャラがダダンだったりするので、一概に「きもい造形の女性」自体を否定したくは無いというのも正直なところ。

https://twitter.com/kaneda_junko/status/550086298212368384 これはウソップというキャラを考えてみると分かり易いのだけど、彼は男性だが役割は後方支援、ストーリー的にも基本的に(少なくともナミと同程度の頻度で)助けられる側。これはジェンダーよりむしろ「腕っ節」の問題。

ワンピの「どれだけ正しくとも、どれだけ苦しんでも、力が無い者は負ける」という世界観は、ごく初期から徹底している。初期一味の中でも群を抜いて酷い苦しみを耐えてきたナミの精神を「弱い」と認識する人はいないと思うが、ナミはアーロンを倒せる力が無い、ただそれだけの理由で敗北する。

なお「お前を倒せる」とその世界観を途中まで引っ張ってきたルフィ自身、戦争編の最後で自分でその辛酸を舐める。蛇足だが、ハンコックは単純に戦闘力が高いという理由で、女性ステレオタイプてんこ盛りの内面とは関係なく、普通に第一線で戦う。

カマーランドのキャラ(インペルダウンのNCLはともかく、とくにサンジを追いかけてた人たち)が、文脈的にも造形的にも、初見で「キャハハおかまキモい」という反応を読者から引き出す設計だった、というのは否定できないと思う(読み進めると読者の第一印象が変わるようにも設計されてる、という点は別にしても)(完全に主観に寄るところなので議論はしないが)

ワンピースの気持ち悪い点と面白さは一緒の所にあるから、扱いが難しいよね。タチ悪いというか

ワンピースで批判されるべきであるとしたら、それは表現が過激であり、かつパッと見ではわかりにくいということであって
別に差別意識の肯定とかはしてないとおもうんやけどな。

とはいえ、オカマの島のアレはさすがに不愉快で、しかもフォローなかったと思うんであれはダメだわ。

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