私的なマンガ感想の倉庫

オタクとしての生存報告用。ブログで他の人向けに感想書くのはつかれるので、自分用のメモです

知的複眼思考法 (その1)

はてブを使いはじめてみたのでとりあえず自戒のために

新三年生向けのゼミでは、毎年五月祭で発表された先輩たちのレポートを学生たちに読んでもらうことにしています。
「なるべく批判的に読みなさい」という指示を与えて、ゼミで報告してもらうのです。

たいていは厳しい批判が返ってきます。
たとえば、高校生が親を尊敬しているかどうかを、
「親が欲しい物を買ってくれるかどうか」
「自分が家にいると心が休まるかどうか」
「小遣いをくれるかどうか」
と関連させた分析を読んだ時です。

このレポートでは、親が欲しい物を買ってくれるほど、また、高校生が家にいると心が休まると思っているほど、高校生は親を尊敬しているという結果を紹介し、そこから「親を尊敬しているというのは、小遣いを上げてやるというくらいではダメで、心やすまる家庭づくりが大切であり、たまには欲しい物を買ってやるという感じだろうか」という解釈をしていました。

この部分について、読んで報告した新三年生の一人は「全体的に何を言っているのか分からない」というコメントをしています。そして、「全体を通して、いまいち明確な印象が得られなかった」といい、「こじつけが目立つ」と結論づけました。同じように、他のレポートに対しても
「議論の出発点の前提が曖昧である」とか「一見もっともらしい結果が示されているが、心情的に疑問を持った」といった批判が提出されます。


なるほど、辛辣な批判が浴びせられるわけです。五月祭のレポートを読むときには、当の執筆者である四年生にも出席してもらいます。その文章を書いた先輩たちは、後輩たちの批判にたじたじになることも有ります。



しかし、これらの批判が非難ではなく、建設的な批判となるかどうか。そこがポイントです。このような批判は、ほぼ毎年のように繰り返されます。毎年繰り返されるということは、批判をするゼミの学生が、翌年には、次の代の学生たちに同じように批判されるということを意味します。つまり、三年生になり、このゼミでの勉強を始めたばかりの時には、他の人の書いたものを容赦なく批判できるのに、いざ自分たちで同じように書く段になると、やはり後輩たちから批判される部分を残しているということです。


このような批判の繰り返しは、何を意味しているのでしょうか。批判をする側にとどまっている間は、先輩たちの書いたレポートのなかに容易に欠点をみつけそこを衝くことができる。しかし、その批判の目はまだ自分たち自身には十分向けられないということです。つまり、三年生の批判の多くは、自分たちが書く側に回った時の立場からの批判ではなく、まだ読むという立場からの一方的な批判であるのです。そのため、ある意味では無責任に相手の欠点を見つけ、そこを非難することが出来るのです。


学生たちは、私達から「なるべく批判的に読みなさい」とか「批判的なコメントをつけなさい」と言われると、どうも相手の欠点や欠陥を探すことを「批判」だと思いがちです。そのような態度で本や報告書に接する場合、ちょっとした欠点を見つけると、「しめしめ、ここを指摘してやろう」と、自分のことを棚上げして、その発見に喜んでしまったりします。そして、「あいまいだ」とか「こじつけだ」といった辛辣な批判をして満足するのです。



そこで、このようなスタイルの批判を見つけると、私は学生たちにこう言います。「論理の飛躍があるというのだったら、どうすれば飛躍を埋めることが出来るのか。その代案を考えなければ十分な批判とはいえないよ」「心情的に疑問が残るというのなら、どのような疑問なのか。またそれが分析者の示した結果と合致しないのはなぜか?」「あいまいだというのなら、どうすれば議論を厳密に出来るのか。 曖昧さを取り除くためのアイデアはなんだろう」といったことです。



問題点を探しだすことで止まってしまっては、「批判的読書」は思考力を鍛える半分までの仕事しかできません。考える力をつけるためには、もう一歩進んで、「代案を出す」ところまで行く必要が有るのです。そして、私は学生たちに「自分だったらどうするか」というところまで考えて、そして考えたことを考えたままにしないで、必ず紙に書くことを強調します。思考を厳密にする上で、書くことこそが、もっとも基礎的な営みだからです。


第一章では、批判的な読書の方法について説明しました。そこでは、書かれたものを鵜呑みにしないことが重要であると指摘しました。著者と対等な立場に立って論理を追っていくこと、そして、書くということをついた意見するための方法を説明しました。今度はこのような批判的に読む立場から、その批判を受けて自分自身で考えていくことを説明していきます。複眼思考法の第二弾会は、「批判的に書く」です。

はてブを続けるかどうかはわかりません。すでに何回か公開と非公開の間をさまよっています。
どうしても、問題点を見つけるまでしかいけないことが多いんですよね…。いや、すごく便利なんだけども。

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